2020年03月11日   3.11



本日は定時制後期選抜の面接があり、古城の門は午前中だけ開放されました。南側のお堀は底が見え乾いてきました。相変わらず生徒のいない校舎で黙々と入試業務が進められています。校内は立ち入り禁止になっています。

今日は大震災の日です。もう9年が経ちましたが、今でも自動車を運転しながら感じた不気味な地震の感触をよく覚えています。

校長室には全国普通科高等学校長会が編集した「未来へ一歩~3.11東日本大震災の記録 そのとき高校は、生徒は~」というA4版180ページの冊子があります。平成24年の11月にまとめられたものです。

巻頭に20ページにわたって宮城県気仙沼高等学校がまとめた「東日本大震災 学校の記録」という記事に考えさせられる。

3月9日は高校入試、10日は生徒登校禁止で入試業務。11日は生徒が登校し授業がありましたが、地震発生時はすでに放課後になっていました。

そこから続く混乱の日々。何日も終わらない生徒の安否確認。避難してくる地域の人々。450人の避難所生活。成績会議。合格発表。取材対応。海外短期語学研修に参加していた生徒たちの帰着。生徒の家庭の被害状況の把握。被災にともなう転学。先生方の避難所巡回。人事異動。新学期準備。学校は一丸となって奮闘している。

18日の夜ようやく学校に電気が通じ、次の日の朝、自動プログラムが作動して不意に校内にチャイムが鳴り響いた。1週間ぶりに聞いた鐘の音に、先生たちは深く感動したと書いてありました。

元岩手県立大船渡高校の校長先生の回想から

・・・3月17日、3.11東日本大震災後、最初の登校日であった。この日、校門を通り大高坂を見上げると”黄金色のオオイチョウ”が目に鮮烈に飛び込んできた。大高坂を登ってくる生徒たちの表情がパッと輝き、下を向く者もあらず、自らの想いを確認するかのように一歩一歩と力強く登ってきた。まさに、この大団旗が生徒達を最初に迎えたのだった。勇気が湧いた瞬間であった。この瞬間、前に一歩大きく踏み出せると直感した。未来は訪れると確信した。「何だ、体の中から湧いてくるこの熱い思いは?なんだ、この武者震いは?なぜ涙が溢れてくるのだ?」 青年らしい凛とした大高生を見て、目頭が熱くなった。「がんばるべ!チーム大高!」と心の中で叫んでいた・・・

とても平静な気持ちでは読むことのできない記録集です。


Posted by 長野県長野高等学校長 at 20:42